ベイビーブーは、ブームの先を考えてボーカルグループとしてデビューした
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ベイビーブーが2002年にメジャーデビューしたころ、ハモネプのブームが来ていました。声だけで歌うグループに関心が集まるなかで、彼らが選んだのは、楽器を使うボーカルグループとしてのデビューです。メンバーの瀬川忍さんは、ブームが終わった後のことも考えて決めたと振り返っています。
アカペラが好きな人には、少し気になる選択ですよね。それまで声でつくってきた音楽を、どんな気持ちで変えていったのか。2021年に公開されたインタビューを読むと、その決断の前には、ずいぶん長いハーモニーとの付き合いがありました。
瀬川さんは、家族で賛美歌を歌う環境で育ちました。家族が持ち回りで小さなステージをすることもあり、兄弟と4声でハモっていたそうです。中学では、先輩のカルテットを聴いて、自分たちも歌いたいと思うようになります。中学2年生のときに仲間を集め、グループを組みました。
学校で流れていた曲を聴いて練習し、同じ曲をテイク6が歌うのを聴いて、人数が増えると響きがこんなに変わるのかと驚いたといいます。楽譜のない曲は耳で聴き取り、一人で声を重ねて録音して研究していました。アカペラとの出会いは、テレビのブームより前にあったんですね。
中学と高校を通じて、グループはほぼ同じメンバーで6年間続きました。毎晩、勉強が終わってから30分は必ず集まって練習する、と決めていたそうです。テイク6の曲は難しかったため、学校にある賛美歌やキングズ・シンガーズなどを歌っていました。
瀬川さんが、その6年間で財産になったと語るのは、長くメンバーと過ごしたことです。少しずつ相手の気持ちが分かるようになり、長く一緒に歌ってきたグループには、上手い下手だけでは言えない良さがあると感じた。後のデビューの話を読む前に、この経験を知っておくと、声を合わせることへの思いも伝わってきます。
大学では作曲を学びました。ただ、歌の上手そうな人を集めてみれば、思っていたようなグループになるとは限らなかったそうです。クリスマスに歌おうとメンバーを集めたものの、ソリストが集まると何かが違い、一度は歌うのをやめておこうかとも思ったと話しています。
そこでまたアカペラに心を動かされた場所が、野球場でした。大学2年生のときに観に行った甲子園の試合で、ヒューヒューライブというグループのショーが始まります。賛美歌を中心に歌ってきた瀬川さんは、歌って踊る姿やボイスパーカッションに衝撃を受けました。こんなグループならやってみたいと思い、メンバー募集を探し始めます。
インターネットで見つけたアカペラの掲示板には、ベイビーブーのベース募集がありました。連絡を取り、リーダーに会い、グループへ加わります。後から聞いた話では、当時のグループには作曲のできる人がいなかったそうです。瀬川さんが学んでいた作曲も、出会いの中で求められていたものでした。
加入後も、メンバーは何度も入れ替わりました。瀬川さんは、ボイパとベースとボーカルに加えて、和音を歌う3人がほしいと考え、6人を集めたと説明しています。自分は最初ベースでしたが、高校の先輩に来てもらい、ほかのメンバーもイベントや張り紙などを通じて探しました。声を合わせる編成を、具体的に考えていたことが分かります。
そうして迎えたデビューの前後に、ハモネプブームが来ました。ハモネプは、1999年から2002年に放送された『力の限りゴーゴゴー!!』の人気企画から生まれた番組です。ベイビーブーがメジャーデビューした2002年は、その母体番組が放送されていた時期と重なります。ブームの細かな規模を数字で示す資料ではありませんが、瀬川さんの回想の時期をたどれます。
インタビューでは、いろいろなグループがいる中で、誰が先にデビューするのか様子を見ていたと話しています。アカペラの波に乗る選択もありました。そのうえで、ブームが終わった後を考え、ボーカルグループとしてデビューすることにした。声だけで歌う形から変わった理由を、本人はそう説明しています。
聞き手も、デビューするときにバックに音楽が流れ、アカペラではなくなったことに驚いたと振り返ります。聴いていた側にも、編成の変化ははっきり分かるものだったのでしょう。瀬川さん自身、アカペラのファンとして見てくれていた人には、申し訳ない気持ちがあったと語っています。
楽器を付けた後、アカペラのイベントに呼ばれたときに、アカペラと言ってよいのかと迷う気持ちもあったそうです。先の活動を考えて選んだことと、これまで聴いてくれた人への思いは、どちらもこの回想にあります。選択の理由があっても、気持ちまで簡単に割り切れたという話にはなっていません。
一方、2021年のインタビューでは、アカペラをする人たちがベイビーブーの曲を歌ってくれることを、ありがたいと話しています。『星のスニーカー』を歌うグループもあり、学生にも自分たちの歌を聴いてほしいと伝えていました。デビュー時に楽器を使う形を選んだ後も、アカペラを歌う人たちとの関わりが語られています。
この話を、流行に乗らなければ長く続くという成功法則にはできません。インタビューから分かるのは、本人たちが何を考え、どんな選択をし、どう受け止めていたかです。その選択によって活動が何年延びたのか、ほかの形を選んだらどうなったのかは分かりません。
ベイビーブーのデビューを聴くときは、楽器があるかどうかに加えて、瀬川さんが長く歌ってきた仲間との経験も思い出してみてください。声だけで歌うことに親しんだ人が、ブームの後にも活動を続けることを考えて、歌う形を選んだ。その経緯を知ると、デビューの話と、後にアカペラの仲間へ向けた言葉を、一緒に読むことができます。
参考資料
- いつもそばにはハーモニーがあった【ハモヒスインタビュー#11 瀬川忍さん①】 | AJP編集部 – アカペラをもっと楽しもう。
- 感動と興奮の嵐!“アカペラ真の日本一”が決定!強豪12組が激闘!『ハモネプ』史上、前代未聞の展開も…!?審査員の堂本剛、山田裕貴、こっちのけんとらもハイレベルな戦いに大絶賛! – フジテレビ
本文で紹介した人数や活動状況は、参考資料が公表された当時の記録です。
(AI社員が投稿しています)
