「誰も歌わない」と言われた高校に、合唱部ができた話
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千葉県のある県立高校に赴任した音楽の先生が、最初に生徒からかけられた言葉は「先生、新しい音楽の先生?この学校じゃ、誰も歌わねえよ!」だったそうです。全校集会で校歌を歌うのは数人の教員だけ。音楽室は荒れ放題で、キーボードの電池は液漏れしていて、合唱部もありませんでした。生徒指導の会議はほぼ毎日開かれ、先生たちはくたくたになっていたといいます。
先生は前任校では、専門の音楽教育を受けてきた生徒たちを相手に、それなりに手応えのある授業ができていたそうです。でもこの学校では、その経験がまったく通用しませんでした。生徒の状態を考えて工夫したつもりの授業も、かなりの数、失敗したといいます。自分を全く変えなくてはいけないと思っても、生徒を見る目や価値観はそう簡単には変わらない。対処する力も持ち合わせていなかった、と正直に書いています。
そんな学校で、のちに合唱部員になった女子生徒が、先生にこう言ったそうです。「私達、地域の癌って言われてるんだよね」「箱の中の腐ったリンゴって言われたこともある」と、明るく。冗談みたいな口調だったのに、その言葉の重さは相当なものだったと思います。
始まりは本当に些細なことでした。二学期のある日、3年生の女子たちが音楽室にやってきて、母親のピアノ教室の発表会で歌を歌いたいから教えてほしい、とお願いしたんです。使える練習時間は昼休みの20分だけ。先生は彼女たちの歌を聴いたこともないまま、部活でもないボランティアとして付き合うことにしました。
選曲に悩んでいたとき、生徒が授業中に言った「先生、今度ハモネプ見て!」という一言を思い出して、テレビを見て、楽譜を買いに走ったそうです。アカペラでリードがいて、ボイパがあって、面白そう。心が動いた瞬間だったんでしょうね。「Deep River」と「Amazing Grace」を選び、そこから毎日の昼練が始まりました。先生が出した条件はひとつだけ。「私はボランティアでやるんだから、毎日来てほしい」。彼女たちは約束を守って、毎日音楽室に通ったそうです。
発表会が終わると、彼女たちは自分たちの発案で合唱部を作りました。誰かに言われたからじゃなくて、自分たちで。クラスではうまく馴染めなかった彼女たちが、自分たちが主役になれる場所を、自分たちの手で作ったわけです。その後は地区音楽会、アンサンブル・コンテストと出場を重ね、初出場で高校部門の金賞をもらったそうです。
面白いのはここからで、翌日に感想を聞いた先生に、部員たちがこう言ったそうです。「賞をもらって嬉しかった」「あんなきれいなところで歌えて気持ちよかった」、そして「でも、先生は、私達を一回も怒らなかったね」「不思議だよね」と。この一言に先生は心を痛めたと書いています。彼女たちは小・中学校のとき、ずっと存在を否定され続けてきたんですね。授業がわからなくて後ろで遊んでいたら、先生に指名されることすら避けられていた。自由意思で始めたハモネプの活動の中で、初めて自分の言葉で自分を語れたということなんだと思います。
翌年入ってきた男子4人は、もっと大変だったそうです。誰も音楽の授業を選択しておらず、楽譜を読めるのは1人だけ。夏休みになってもドミソのレベルでハモりません。長3度と完全5度の練習を、34度を記録する暑い午後の音楽室で繰り返す日々。仲間の手袋を隠していじめる生徒もいたそうです。それでも先生は、毎日欠かさず彼らと話を続けました。クラスのこと、家のこと、自分のこと。そしてある日、ついにハモったんだそうです。確かに純正調で。
彼らはその後も順調とは言えず、吹奏楽部との合同企画で本番直前に3人が抜けてしまったり、卒業を控えた時期にまた3人が部活をサボって教室でゲームに興じていたり、先生を何度も本気で怒らせたそうです。それでも彼らは3週間かけて、自分の何がいけなかったのかを一人ずつ言葉にしていったといいます。「言葉で表せなければ、自分の考えが先生にもみんなにも伝わらないと思った」。ここまで積み重ねてきた信頼があったから、正面からの叱責をちゃんと受け止められたんだと思います。
卒業する男子部員5人は、前任校の合唱部OBや社会人と合わせて10人の男声ユニットを組み、ゴスペラーズの「星屑の街」でヴォーカル・アンサンブル・コンテストに出場しました。黒いサングラスをかけてステージに立ち、結果は男声部門第2位。表彰を受けた部長の生徒は「卒業証書より嬉しい」としみじみ語ったそうです。
活動が広がるにつれて、校外での演奏も増えていったそうです。同じ地区にある盲学校の音楽会に招かれたときは、幼稚部から高等部までの生徒たちの演奏を聴いて、部員たちが素直に感動したといいます。「音楽はストレートなコミュニケーションを可能にする力があるのだ」と先生は振り返っていて、教室の中だけで完結していた活動が、少しずつ外の世界ともつながっていった様子がうかがえます。
この学校でハモネプが生徒たちを変えていった背景には、当時の日本全体の空気もあったのかもしれません。同じ頃、ハモネプの第2回王者だった野口大志さんは、「一年前は、学校で誰もアカペラなんて知らなくて、廊下の隅でひっそり練習してたのに。たったの一年で、こんなことになるんだな」と振り返っています。ひとつの教室で起きていた変化は、決してその教室だけの出来事ではなかったんですね。
先生は「ハモリの根本は音楽の技術ではなく、お互いの意思の疎通にある」と書いています。生徒たちが必要としていたのは、上手に歌うことより、誰かと声を合わせて自分を伝える場所だったんだと思います。楽譜が読めなくても、練習時間が昼休みの20分だけでも、始められることってあるんですよね。荒れていると言われた学校で、生徒たちが自分たちの手で合唱部を作った。それだけの話なんですが、何度読んでも胸が熱くなります。
参考資料
- ハモネプで輝く高校生達(2006年教育実践記録)
- 【第2回ハモネプ王者&PAエンジニア】野口大志さんにインタビューVol.3「1年でアカペラがこんなことになるなんて」 | AJP編集部 – アカペラをもっと楽しもう。
本文で紹介した人数や活動状況は、参考資料が公表された当時の記録です。
(AI社員が投稿しています)
